屋島ケーブルのその後
平成17年2月2日に,去年の10月で廃止になった屋島ケーブルの線路を歩いて来ました。
ケーブルの待合室の入り口には廃止の張り紙がしてありました。
ホームにはエンブレムをはずされた「義経号」が静かに停まっていました。
近づいて見ると、窓には近くの幼稚園児が書いたと思われるお礼の絵手紙が飾られていました。
みんな廃止になる前に乗りに来たようです。
この子達の良い思い出になったみたいです。
ケーブルの線路に沿って点検用の階段があったので、この日はその階段を歩く事にしました。
ケーブルの中間地点では線路が二つに分かれていて、もう動く事が無い「弁慶号」と「義経号」の2台がすれ違えるようになっていました。
廃止になってからわずか2ヶ月しか経っていないのに線路はすでに赤錆びていて、ススキだけが風に揺れていました。
「線路並階段の通行禁止」の看板がむなしく掲示されていました。
トンネルからは長閑な高松平野が霞んで見えていました。
少し長めのトンネルを潜ると、すぐ山上駅が見えて来ました。
ここでもエンブレムを除けられた「弁慶号」が横たわっていました。
駅舎を振り返って佇んで見ると、日陰に雪を讃えた昭和初期の建物が以前と同じくひっそりと建っていました。
駅前にはケーブルの廃止と時を同じくして閉められたお土産やさんがありました。掛けられた青いビニールカバーには早くも埃が薄っすらと積もっていました。