道標の博物館  (五色台の粋な道案内)

白峯寺から根香寺へ向かう遍路道は昔の面影を色濃く残す古道である。

この遍路道を根香寺へ十丁ほど歩くと古田に出る。ここは江戸時代の国分寺道と根香寺道が交差する交通の要衝である。古田には、古い道標から新しい道標まで狭い範囲にたくさんある。これは現在も古田が交通の要衝であることを意味している。

 この中で一八七〇(明治三)年に建立された道標の手形の向きが面白い。右側には左を指差す手形があり根香寺へ、左側には右を指差す手形があり白峯寺への道を示している。左右の手形の人差し指が石の中央でくっついているのである。右側には右方向の札所を案内するのが普通であるのにこれは反対になっている。このように手形の向きが左右反対になっている道標は大変珍しい。

 また、この道標の右側面は国分寺道を案内しているが、その手形が凝っている。手に扇子を持っていて指先と扇子で国分寺道を案内している。全体としてこの道標は奇麗で形も良く三個の手形には振り袖が付いており、石工の意気込みが感じられる作品だ。

この道標のすぐ横には右側面には右方向を、左側面には左方向の札所を案内する道標がある。一九三六(昭和十一)年、栗田修三が建立した四国遍路「九十六度目」のものである。

さらに面白いことに自衛隊の金網製の塀には遍路道の案内札が吊(つ)ってあったり、

塀の横に二〇〇二(平成十四)年に建立された真新しい道標があったりする。「核兵器廃絶」「世界の平和」の文字が書いてあり時代の変遷を感じる。

自衛隊の「立ち入り禁止」の看板や塀との不釣り合いが面白い。

塀の付け根に「陸軍用地」と書かれた境界石がある。

立ち入り禁止区域の塀の中に江戸時代の地蔵丁石が二つ並んで建っているが、近寄って観察することは出来ない。

また、このすぐ北側の山中に朽ち果てた遍路宿があり往時の面影を残している。

 江戸時代から平成の現代まで、歩き遍路のためにいろいろな形の道標や丁石が建つ五色台。まさに道標の博物館である。

(四国遍路道 文責 森)


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