八栗の遍路道

 香川県牟礼町は石の町である。四国の遍路道の中では一番、道標や丁石の密度の濃い場所である。驚く事に約100mに一個の割合で設置されているのである。
 その中でも一番印象に残っているのがこの道標である。屋島の菊王丸の墓の前に「右八栗三十丁」と書かれた手形の入った道標があるが、その手形の真っ直ぐ東側、海を挟んだ対岸約1.5キロに設置されていたのである。考えられるのは此処が船着場で岡山や高松、あるいは屋島の菊王丸の墓から遍路船が出ていて此処に着いていたのではないかと言うことである。この周囲を調べるともう一個道標が見つかったので、ますます確信を持ったのである。
 考えてみれば昔は陸上交通があまり発達していなかったので船が主要な交通手段であったと容易に推測できるのである。(そういえば私が学生の頃庵治町から時々遅刻しそうになると船で高松の港まで送ってもらっていた子がいたように記憶しています。海は交通渋滞がないので陸より早かったそうです。)
 所で、現代の歩き遍路はここより南約1キロの高橋(昔の見返り橋)を渡っているのである。

 さて、私は八栗の道標の特徴は変化に富んだ手形にあると思っています。これは改修される以前の洲崎寺境内に設置されていたものである。「八栗道 是ヨリ十八丁」とある。

これは民家のブロック塀の一部に道標が取り込まれていたものである。
 以下いろんな手形の入った道標の数々です。素朴で確実な手型で遍路道を案内してくれます。

 ただ遍路道は曲がりくねっていて非常に分かりにくい。曲がり角に設置された道標を見落とさないように注意して歩かないと遍路道から逸れてしまうのである。
 これは香川県が設置した四国の道の道標である。

これは平成七年に建立された道標であるが、私の知る限りではこの道標が平成になって建立された記念すべき第一号なのである。

これは八栗ケーブル乗り場西側の参道に設置されている丁石である。

八栗の遍路道には享保十四年の地蔵丁石が多いのも特徴である。

参道中腹には文政7年(1824年)に建立された立派な振袖道標がある。近くの山道にあったものを此処に移設したらしい。(25年前に四国遍路道学術調査研究会前会長の川田氏が調査した時にはこの石は見つかっていなかったそうである。)

遍路道を登り切った所に牟禮村道路元標があるが、そこからが八栗寺境内である。

八栗寺から見た五剣山である。江戸時代の宝永三年(1706年)の南海地震で崩れてしまったので今は峰が四個しかなく四剣山になっている。

五剣山の山頂部は崩れやすいので立ち入り禁止になっている。あえて少しだけ覗いて見ると中には弘法大師が修行したと言い伝えられている洞穴があった。しかし今はブロックで入り口を塞がれているため覗く事しかできなかった。

八栗には屋島と同じくケーブルカーが設置されている。

ただ屋島は休止になったが八栗は今も運行されている。

ブルーとオレンジの二色に塗り分けられいて「YAKURI 1」と「YAKURI 2」が交互に動いている。

四国遍路の特徴である「お接待」 、この日は徳島県から障害者の社会学習を兼ねて「接待所」が設けられていた。

八栗寺本堂東側に設置されている道標で「自是志度五十丁 寛政十二年申六月」と刻まれている。

志度寺へ行く下りの遍路道の途中に彫られていた地蔵である。道端に立っている木の幹に掘られた物であるが大変立派なものである。ただ石と違って木が朽ちかけているので
あまり永くは持たないかも知れません、、。

手形で「八十六番志度寺」を指差している道標である。右側には手形で「六万寺」を指差している。


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