五色台の遍路道

 香川県国分寺町は名前のとおり八十番札所「国分寺」で栄えた門前町である。
 国分寺から八十一番「白峯寺」へ向かう遍路道は、江戸時代には坂出市の古田を通って行っていた。

 しかし明治時代になって陸軍丸亀連隊の実弾演習場が五色台に出来てからは遍路道は通れなくなってしまった。

 現在も自衛隊が実弾演習場として使っているので、五色台のかなり広い範囲が立ち入り禁止となっている。
 以前道標の調査中にも「M61戦車」に遭遇した事があったし、「20mm 機関砲」の弾が近くで何発も発射されるのを聞いた事がある。

 そのため現在は19丁へ向かう遍路道が利用されている。この道は「四国の道」としても整備されているので大変歩きやすくなっている。

この道標は「遍路ころがし」が始まる急峻な坂の入り口に建立されていて手の向きでへんろ道を指している。

 坂の途中で木の節に狸の置物が置かれているのを見つけた。遍路道の札も吊るされていて、なにかほのぼのとする光景である。

坂の中腹には金を掘ったと言い伝えられている穴があり、中を覗いて見たが、かなり奥の方まで掘られていた。

 坂を登り切ると県道に出るが、ここには「白峯寺」へ行く二つの道標がある。ひとつは昔ながらの「十九丁打戻り」のものであるが、もうひとつは新しく出来た舗装された県道を歩く近道の道標である。
 最近の歩き遍路は県道を歩く人の方が多いように思う。

十九丁は、昔遍路宿があった所であるが、今は四国の道の休憩所となっている。

この道標は十九丁に建っていて「左こくぶ道」と書かれているがその形が珍しい。上部が丸く宝珠形になっている。

これは有名な「十九丁打もどり」の碑文を写したものである。

 ここから西へ向かうと古田に出る。古田を少し過ぎたところには非常に珍しい道標がある。鉛筆を縦に半分に割った様な形をした道標なのである。上から見ると台形の形をしているが、この様な形の道標は見た事がない。昭和14年4月に広島県の人が建立した物である。

 十九丁から東に向かうと八十二番札所「根香寺」へ出るが、この道標は「根香寺」から八十三番札所「一宮寺」へ向かう途中に建立されていて大師像の下に「是ヨリ一宮迄二里半」と刻まれている。しかしここから一宮へ向かう遍路道は藪になっていて分からなくなっている。山の中を何時間も探したが見つける事が出来なかった。この日は仕方なく赤子谷を降りる県道を歩いてみた。

 この写真は2001年4月15日に写した「栗田修三」の建立した道標であるがこの後何度もこの付近を歩いたが、二度と見つける事が出来なかった。設置場所が変わったのか、あるいは紛失したのか?それとも草むらに埋もれてしまったのであろうか、、、(見つけられた方は連絡下さい。)

この日は4月15日であったが五色台の山上は桜が満開であった。


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