お成り街道(高松市仏生山町)

 平成17年2月5日に法然寺の門前町である仏生山町へ行って来ました。通称「お成り街道」と呼ばれる仏生山の本通りには古い町並みがたくさん残っています。

このお店は煙草屋さんです。看板には塩、たばこ、切手とありますが、、、今でも塩を売っているのかなー?

食堂兼氷屋さん、、、。

それとお米屋さん。

信用金庫の前に立派な道標がありました。

その西側には古い民家がありました。

「円光寺」の門から見た民家、以前は呉服屋さんであったらしい、、、。 それと蜂蜜屋さん。
仏生山の町並みには自転車と子供のいる風景が良く似合うと思います。 

呉服屋さん、、。    看板がとても大きくて立派でした。
(外見とは相反し店の中はモダンな飾り付けがなされていました。)

隣家との境には袖壁がありました。徳島の脇町では「うだつ」と呼んでいましたが、ここでは「うだち」と言うらしい。装飾と防火の役目も少しはあったのかなー? この様な立派な家を建てられない事を「うだつが上がらない」と言うそうです。

自転車屋さん、、ショールームには今も新品の自転車が数台展示されていました。

お酢の工場とお店、、古い木製の看板には輸出用清酢と書かれていました。

食料品店と                   布団屋さん、
(看板に隠れていますがどちらも古い木造2階建ての建物でした。)

お茶屋さん、、                  それと雑貨屋さんかなー?

電気屋さん、、               NATIONAL の文字が懐かしい、、

ショーケースの中には20年前の物と思える新品の電気鉛筆削機が見えていました。(実は我家にもこれと同じ物があるのですが買ってからもう20年になります。)

どちらの家も大きな民家です、この中(ちゅう)二階には人が住めるのかなー?
一階には格子の入った窓が見えていますが「連子窓」(れんじまど)と言うそうです。
また二階の小さな窓は「虫籠窓」(むしこまど)と言うそうです。

「ちきり神社」前の自動販売機が並んだ民家です。中(ちゅう)二階の窓からは古い金属製の看板が無造作に置かれているのが見えます。(写真では分かり難いかな?)

「ちきり神社」前には明治13年に建立された「右佛生山道」と刻まれた道標があります。
それと昭和に建立された「法然寺」を指す道標と「四国の道」の道標があります。

「法然寺」参道入り口には明治12年に建立された「やしまみち」と書かれた道標があります。振袖付の手形で屋島を指差しています。
 江戸時代の遍路道は「高野山讃岐別院」を廻る道順と、この「仏生山法然寺」を廻る道順と、もうひとつは83番「一宮寺」から直に84番「屋島寺」へ行く三つの道順があったらしい。どの古道も結構人の往来があったみたいで、今も沢山の道標が遺されています。


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