その横では花期の済んだ高野箒が種を飛ばそうと綿毛のようになっていました。

箸蔵街道

2006年2月8日に「四国のみち」になっている「箸蔵街道」を仲間6人と歩いて来ました。

9時32分、JR財田駅から汽車に乗り箸蔵駅まで行きました。
汽車には我々以外乗客はだれもいなくて貸切状態でした。

橋を渡ってトンネルを抜けると、

スイッチバックで有名な坪尻駅に着きました。

昔の蒸気機関車は重い荷物を牽引してこの坂を越えていたらしいです。

箸蔵駅からは、財田駅まで江戸時代の古道を歩きました。

途中の「箸蔵寺」までは古い石段が遺されていましたが、勾配は大変急で登るのに難儀しました。

お寺は標高500mの所にありますが、ロープウェイが運行されていて5分ほどで着くそうです。

我々は歩いて1時間あまりかかりました。

お寺を過ぎてからは山道で、財田駅までだれも人に会うことはありませんでした。

この日の天気は変わりやすく、何度か吹雪となりました。

昔、この街道は阿波から讃岐への主要な道で、農繁期には借耕牛(かりこうし)と呼ばれる農耕牛がこの道を通って讃岐に来ていたそうです。
途中、馬を休めたと言われる「馬除(うまよけ)」部落を通りましたが、廃墟だけが遺されていました。

また峠の茶店で有名な「二軒茶屋」には四十九丁と書かれた丁石だけが残っていましたが当時の賑わいは面影もありませんでした。

箸蔵寺から財田までは百丁あまりですので、この二軒茶屋がちょうど中間地点になるようです。

途中丁石がいくつか遺されていましたが、歩くにつれてその丁数が増えていきました。

麓近くでツツジの新芽を見つけましたが春の準備をしていました。

麓には江戸時代の見事な百丁石が建てられてていました。その碑文には「箸蔵寺江百丁」と書かれていましたが、今の距離で言いますと約11kmになります。


この日は財田駅まで14km余りの道程を6時間近くかけてゆっくりと歩きました。途中吹雪や薄っすらと積もった雪道もありましたが麓では春の息吹が感じられ楽しい一日でした。


馬除部落の廃墟

二軒茶屋跡地

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